槍鯛

やりたいことしかやりません

帰省????

老いてゆく者は置いてゆくモノだ。
つまらないから帰省などしなくていい。親などいつ死んでも構わない。
君を育てたのはただの自分勝手なのだ。産んで育ててそれのどこに感謝がある。いつの間にか居着いた野良のネコは人間に感謝する義理などないとばかりに不貞腐れ顔で人間のやった飯を食う。それでも可愛いのだ。なぜならという野暮な質問はいけない、なぜならそういうものだから。人間様はネコとは違うが何も違くはない。生きることも死ぬことも選べるしそれをいちいち議論する大人になどなりたくないのだ。命の大切さなど講釈垂れるあまりに残念な大人になどなりたくないのだ。
勝手に死ねばよい。勝手に生きればよい。

実家に帰れば切ない顔で健康状態など見られる。実の家は今の駅近ビルの四階、八畳の角部屋であるのに実家と書いてホントの家と読む。馬鹿野郎、ウソもホントもあるか。この世にホントはひとつしかいらない。私が見ている今がホントであとは見えないのだから存在しないのだ。哲学などには深入りしない、これが私の哲学だ。

大量の飯が出てくる。全然嬉しくない。私は普段チョコを少し食べればお腹いっぱいな気がしてくるが夜になって足りなくて麺をちょろっと茹でるくらいしか食えない。食えないものは食えないのに寿司や肉やお菓子がたくさん出てくる。食えという雰囲気でもう食えない。そんな感じで食う飯はとてもまずい。くそまずい。美味しく食えない私のせいではなく、完全に自分が作った飯が迎合されると考えた母親のエゴのせいである。

やることがない。元野良の猫はやはりバカなので私の顔を忘れ、私に抱かれても逃げる。そのあまりの可愛さにうっとりする。皮肉でない。

学校はどうなのなどと聞かれる。単位は落としたし彼氏はできた。友達は依然としてできない。ディープキスはしたけどセックスはしていない。そこまで話すのが非常識だと考える人間になにも話すことなどないのだ。全部嘘をつくと怒る。ちょっと嘘をつけと言う。私にはホントしかない。相容れない事実だけが残る。ストレスだけが溜まる。

土産など持たされる。重い荷物を電車を乗り継いで持ち帰りそれを開封する手間を考えただけで寒気がする。駅近ビルの四階八畳角部屋に帰ると疲れて動けない。謎の情を醸し出す女優(母親)の演技に反吐みたいな涙なんか出る。金は交通費で2000円飛び時間は4時間飛んだ。この2000円と四時間で観劇ができた。能動的に生きることができた。

つまらない絆は切るのではなく見ないふりをしろ。観るのはアングラ劇にしろ。アングラ劇はいいぞ。全く意味がわからない。意味がわからないことにお金と時間を使うのだ。涙は反吐味ではなくちゃんと透明な味がする。やりたいことがわからないのではなくやりたいことは今現在意味がわかるものの中には無いのだ。ホントのことをしていたらストレスは溜まらない。

帰省の中にホントはない。ただの惰性の泥濘としか表現ができない。家などただの箱であり、土地など偶然の産物であり、人間などエゴイズムそのものでしかない。歴史も伝統もエゴイズムの行為の結果に作品名をつけたら立派に聞こえただけのものだ。エゴイズムに屈するなど自身がエゴイズムのくせして矛盾している。もっとエゴイズムとしての自覚を持て。お前の名前はさぁ今日からエゴイズムだ。仮の名前や苗字など猫に食わせて帰れ。お前の家は駅近四階ビルの八畳の角部屋だ。家に帰れ。